令和元年5月1日にニートになったクズのブログ

令和元年5月1日にニートになった独身男の活動内容をつづる

なぜニートになったのさ②

なんで、ネガティブになるのは簡単なのに、
ポジティブになるのは難しいんだろうと思う。


ポジティブ思考は能力とかそうゆうんじゃなくて、
無理やり自分で作るものなんかなぁーと思う。
技術だと思う。
自分はその技術が無いのだろう。


ネガティブになったらどうするか。どうポジティブに変えるか。
前職でよく言われた事だ。
ポジティブ、ポジティブうるさい会社だった。


ネガティブキャンペーンでもいいじゃないか!


とりあえず、そこは置いといて前回の人生振り返りの続き。


小学生時代を振り返ろう。
今思うと、小学生のときが一番友達がいたと思う。
人間関係っていうのを意識することが無かったからだろうか。
良く外に出て遊んだし、友達の家に遊びに行ったりしてた。
リア充だった。


そういえば、小学1年のときにはじめて出た宿題を母親にやらせようとしてたのを思い出したw


出された宿題は平仮名の「あ」を書く練習をしてこいというもの。
完璧主義な自分はとにかくキレイな「あ」を求めたのである。
自分が「あ」を書くと見本のようなキレイな「あ」が書けなかったので、母親に代わりに書いてくれとせがんだのである。


当然自分で書けと言われ、ぐにゃぐにゃの「あ」を提出したのである。でも、花丸ついて良くかけましたって返ってきたときは、うれしいというより、安心した気持だった。
うまく書けなかったら怒られるとでも思っていたのかもしれないw


あとは、自分で言うのもなんだが、モテた時期でもある。
何人かの女子から好きと告白された。まぁ子供の「好き」なんで恋愛的なものではないかもしれけど。


そう、そして何を血迷うたか自分はそれを全て拒んだ。
なんかよく分からないけど恐怖を感じたのだ。
そして、自分のモテ期は終了した。


続きは後日

ニート生活5日目

ニートについて検索してみると、ニートの定義は
【15~34歳の失業者や無業者のうち、学生や主婦を除き、求職活動にいたっていない者】としている。(厚労省)


就職していなくても、就職しようという意識をもって活動している者はニートではないことになる。


自分は収入が無いので生活できない。だから働かなければと考えている。つまり自分は上記の定義で考えるとニートでは無いことになる。


しかし、世間からみれば ”就職していない者、収入が無い者”=”ニート”との認識が強いのではなかろうか。実際自分もそうゆうイメージだったし。


ニートは30代~40代が一番多いらしい。
まさに30代の自分にドンピシャじゃないか←


で、ニート生活に入ってから5日間の自分の行動をまとめてみた。
1日目 ニート初日は仕事から解放された感でとりあえず安心する。
    が、すぐになんとも言えぬ不安もつきまとう。
    それをごまかすようにFXのチャート画面を見続け、トレードするもうまく
    いかない。


2日目 何も行動する気が起こらない。
    離職票早く届かないかなぁー、離職票届かなかったらどうしようなどと、
    ベットの上で考えゴロゴロする。
    食事は節約のため1日1食と決めた。


3日目 あいかわらず何も行動する気が起こらない。
    アルバイトの求人に目を通すもやる気は出てこない。
    不安とストレスのせいか、下痢が続いた。
    食事は近くのスーパーで半額になった弁当を買って食べた。
    自炊する気はない。っていうか自炊するほうが高くつくのではないかと思う。


4日目 何もしないでいると頭がおかしくなりそうだったので、”FXするか”と思いきや
    今日は土曜日でトレードできない。
    他に何かしようと思い今さらブログを始める。
    それでも時間はあるので、鏡の掃除をする。


5日目 収入は少しでもあったほうがいいので、メルカリの出品を始める。
    自分が以前使っていた資格テキスト、問題集を出すと意外にも直ぐに売れた。
    ちょっとうれしかった。
    他にも売れそうな物を探して出品するも反応は薄くまだ売れていない。


≪結論≫   
自分は前職の仕事が辛くて見切り発車で退職したが、”仕事から解放されたーよかったー” と思えるのはほんの一瞬。すぐに今後についての不安がつきまとう。
なので、仕事やめるときは次の職場が決まっているか、別の収入源を確保したうえで決断しなければ絶対に後悔することになる。
まぁ、そんなこと常識だけど、わかっちゃいるけど、それができない人間がここにいるのよ。

なぜニートになったのさ。①

なんでこうなったのか。
おかしい。


確かに人付き合いは苦手だ。
飲み会とかめんどくさい。
そもそも飲めないし。
楽しく騒げるタイプでもないし。
絶対一人ポツンとなるのでホントに飲み会は苦痛だ。


とりあえず、それは置いといて、自分の人生をこの機会に振り返ってみようと思う。


富士山がキレイに見える県で育った自分はわりと裕福な家庭に生まれた。(と思う)
父は個人経営ではんこ作ったり、鍵作ったり、宝くじ売ったりしていた。
母親もそろばん塾の先生をしていた。
そんなこんなで、自分がほしいと言ったものはなんでも買ってもらった。


そういえば、自分が幼稚園児の時に車に引かれ右足を骨折してしまった。


その日はおばあちゃんと弟と友達でプールに行って遊ぶ予定だった。
信号機の無い横断歩道先にはうちのおばあちゃん達が待っていた。
早く向こうに渡らなければ。。。


早く遊びに行きたくて自分は右からくる車に気づかずに道路に飛び出していた。


痛みで泣き叫ぶ自分を父親が抱え込んで近くの病院まで運んでくれたのを覚えている。
(事故現場は家の目の前だったので父親がスグに駆けつけてくれた。)
おばあちゃんは自分が轢かれる現場を見てしまったせいで、急激に血圧があがり目の視力が落ちてしまった。自分と一緒に入院した。


書いててなんか目から汗出てきた。


自分が小学生5年になってから聞いた話だが、自分を引いた人は警察の方でしかも交通課の人だったらしい。そういえば、入院しているときに知らない若い女性が来てプーさんのぬいぐるみをくれたのを覚えている。


なんだかんだで自分とおばあちゃんは1か月後に退院した。


その後、友達は少なかったが、小中高と順調?に学生生活を送っていた。


つづきは後日。